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最高裁判所大法廷 昭和22年(れ)48号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

辯護人小林右太郎の上告趣意は「原審は左記の如く事実の認定及法律の適用を爲し被告人に對し懲役二年に處した(以下略)被告人は犯意を繼續して第一、神野一男及當審相被告人であった角静馬、高橋確一と共謀して一、昭和二十一年二月中頃夜間廣島市旭町元廣島被服支廠跡第十番倉庫で廣島縣転用課の保管してゐた軍用夏ズボン四梱(一梱六十枚入)を窃取し二、續いて其の頃の夜右同所で同課保管の木綿白布十三巻防水茶褐綿布十三巻(一反三十六米)雨外套用布切百九十枚を窃取し第二、右三名及原審相被告人山下光治同日下部吉男と共謀して同年四月十三日夜右倉庫から同課保管の軍用蚊帳二梱(一梱十五枚入)軍用夏シャツ十二梱(一梱百五十枚入)防寒靴下二梱(一梱二百四十足入)を窃取したものである法律に照すに右の所爲は刑法第六十條第二百三十五條第五十五條に該當するのでその所定刑期範圍内で被告人を懲役二年に處した(以下略)然れども原判決は左記の理由に依り憲法第三十七條第一項に所謂公平な裁判と言ふことは出來ませぬので破毀せらるべきものと信じます凡そ刑事被告人は憲法第三十七條に依り公平な裁判所の裁判を受ける權利を有するのであります茲に所謂公平な裁判とは公正妥當なる裁判であることは勿論であって憲法が国民に刑事裁判の公正を保障してゐるのであります而して裁判の公正は事実の認定法律の適用刑の量定の三者が揃って公正妥當でなければならぬことも論なきところでありますが就中刑の量定は被告人の利害に直接する極めて重要な關係にあって裁判の心髄をなすと謂ふも過言ではありませぬ然るに日本憲法の施行に伴う刑事訴訟法の應急的措置に関する法律第十三條第二項に「刑事訴訟法第四百十二條及第四百十四條の規定は適用しない」こととなりたる結果量刑不當及事実誤認の如き單なる理由に基いては最早や上告の理由となすことは出來なくなったのであります然しながら新憲法下に在っては裁判は凡て憲法に適合する様に解釋適用し之に反することは許されぬのであります從って刑の言渡が甚だしく苛酷であるとか事実の認定が間違って居る場合には刑事裁判の公正を保障する憲法の精神を没却するものでありこの理由に基いて新に上告理由となすことが出來るのであって前示刑事訴訟法の應急的措置に關する規定と矛盾するものではないと信ずるのであります本件窃盜被害事件に付て之を觀るに犯罪事実の認定に關しては固より被告人の自白するところであって別段に異議を申上ぐる點はありませぬが原審が被告人に對し懲役二年の実刑を科したことは諸般の情状に鑑み刑の言渡が餘りに苛酷でありまして所謂公正妥當なる裁判に反し憲法の精神に悖るものと謂はねばなりませぬ申す迄もありませぬが刑の量定は犯人の性行犯罪の情状及犯行後の行動殊に家庭の事情改悛の情の有無等各種情況を仔細に檢討し最後に公正妥當なる判斷を下すべきものであります以下簡單に是等諸般の情状を述べたいと存じます一、被告人の犯罪の情状 先づ被告人の本件犯罪の情状を検討するに被告人は二十一歳の時現役兵として入隊し二十五歳の時滿期除隊となって家に歸ってから左官業をやって居たのでありますが除隊後一年餘りたった頃より肺浸潤に罹り思ふ様に仕事も出來ず一時ブラブラして居たが別に家に資産もなく生活費小使等に困ってゐる矢先恰度昨年一月頃知合の相被告人であった角静馬方の前を通りかかると市内旭町の被服廠には沢山の被服が藏ってあると言ふことだが一緒に盜って賣らうではないかと相談を持ちかけられたその時被告人は病氣で働きも出來ず小使錢などに困ってゐる時とて拒はることも出來ずツヒウカウカと前後を考へずに渦中に投じたのであります今迄何一つ惡いこともしないで過して來た被告人としては之が一生一代の過ちでありますがこれが元となり一度が二度となり數回罪を重ぬる様になりましたが本件を犯すに至った動機は固より意思の薄弱であった點もありますがホンの一時の出來心で俗に言ふ魔がさしたのであります尚被告人の本件犯情に付て一言附加したいのは第一審に於ける相被告人であった山上光治が現場に「ピストル」を提げて行った經緯に付て被告人も少し關係して居るので見方に依っては之が惡い影響を與へ重く認めらるる虞があるまいか此の點に付ては被告人が昨年四月十三日でありますが被告人も度々現場に行って居たので警戒も厳重になりはせぬか元來小心である自己の身が心配となり若し発見せられて捕へられては大變だと考へた結果「ピストル」があれば之で番人を脅せば容易に逃らるるであらうと言ふ淺墓な考へから唯逃げ度い許りにかねて山上が「ピストル」を持ってゐることを知って居たので同人の居る被告人の叔父に當る岡敏夫方に行き山上に「ピストル」を貸せと頼んだところ事情を聞いたので打明けると同人は俺が「ピストル」を持って行くマサカの時は俺が引受けると言ひ「ピストル」を貸さなかったところがこの山上が「ピストル」を持って行った許りに後に起ったことですが重大な不詳事件を惹起しましたがこれは全く被告人の豫期して居なかった意外の珍事で此の事あるがために被告人の犯情を重く認むべきものではないと考へるのであります二、被告人の犯行後の行動 被告人は本件の犯行後即ち同月十五日夜最後の窃盜が失敗に終りましたが自己の罪を恐るるの餘り同月十六日の夜行で京都に赴き知人の家に暫らく身を隠して居たが飜然改悟し良心に立返り六月一日歸來し同月七日進んで東警察署に出頭し取調に對し遂一自白したのであった一時身を隠したが何處迄も逃け通す考へはなく其の非を悟るや自ら警察署に出頭し取調を受けて居りますその改悛の情は誠に顕著であって此の事たるや厳格の意味にては所謂自首に該らぬとしても被告人の心情に至っては自首と同視して參酌を與ふべきものであると存じます三、被告人の性行及家庭の事情等 被告人は相被告人である西原浦助の長男として生れ少年時代から父浦助の左官業を手傳ひ極めて温厚で仕事も真面目で能く働き今迄は前科は固より何一つ惡いことしたことのない人物であります十八歳の時早くも妻帶し其間に四人の子女を儲けて居りますがその外家庭には両親弟妹等合すると実に十四人と言ふ大家族であります今日の様な暮し難い世の中にあって此の一家の生計を立てて行くことは実に容易の業ではありませぬ然るに此の一家の大黒柱である父浦助も亦不幸にして本件に連座し賍物故買罪に問はれ原審に於て実刑を科せられ同様上告中であります且此の一家は被告人の母も亦同様肺を病み臥床して居りますが、家には何等蓄財なく若し父子諸共に実刑を科せらるるなれば後に取り殘されし多勢の家族は路頭に迷ふの外ありませぬ殊に被告人は保釋後一時身體も回復し元氣になって更生に燃えて居り一生懸命毎日本職の左官稼ぎをやって居りましたが一家のことや前途を心配するの餘り持病の胸の病が再発し遂に喀血し絶對安静を要する身となったので原審の公判も已むなく數回期日變更をも御願ひし最後の一人として殘されましたがいつまでも裁判所に御迷惑をお掛けすることを慮って一時小康を得たる機會に出廷し審理裁判を受けたる次第でありまして斯の如き事情の下に在る被告人の家庭は実に憫然の至りに堪えませぬこの現情の下に於て身から出た錆とは言ひながら父子諸共に実刑を科すると言ふことは餘りに苛酷であると考ふる次第であります尚被告人は第一審に於て懲役二年の実刑を科せられた際新憲法発布に依る減刑の恩典に浴すべき機會もあったのでありましたが多數の家族に思を致し一日も長く働いて之を養ふてやる心情からして此の恩典にも浴しなかったものであります被告人としては今や非常に前非を悔ひ再度かかる罪を重ねるが如きことはないと信じます裁判官に於かれましては何卒各般の情状を御參酌せられまして被告人に對しては特に大英斷を以て慈悲の手を差し延ばされ苛酷なる原判決を是正せしめ新憲法の精神に合した裁判を受くる爲に是非とも原判決を破毀せられんことを切望する次第であります」というにある。

しかし憲法第三七條第一項にいわゆる「公平な裁判所の裁判」とは偏頗や不公平のおそれのない組織と構成をもった裁判所による裁判を意味するものであって、個々の事件につきその内容実質が具體的に公正妥當なる裁判を指すのではない。從って所論のように同規定を以て刑の言渡が甚だしく苛酷であるとか事実の認定が間違っている場合にこれを憲法上新に上告理由となすことができるとした趣旨の規定であると解することはできない。されば、被告人を懲役二年に處した原判決を目して苛酷な刑の言渡であるとし前記憲法規定に違反すると主張する本論旨は當らない。結局日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の應急的措置に関する法律第一三條第二項で制限した量刑不當を理由とするものに外ならないから上告適法の理由とならない。

以上の理由により、刑事訴訟法第四百四十六條に從ひ、主文の通り判決する。

右は全裁判官一致の意見である。

(裁判長裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上登 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 庄野理一 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介)

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